嵯峨御流と流名。
実はこの名前になったのは昭和50年代。
だからまだまだ認識されてないのも事実です。
ではその前は…生花は未生御流、盛花と瓶花は嵯峨流、荘厳華は嵯峨荘厳華、
同じ流でありながら名前が複数あったんです。嵯峨未生流と呼ばれたりもしました。
そこでややこしいので、嵯峨御流に統一されたんです。
未生流の二代、未生斎廣甫が大覚寺に華務職として入ったところから、未生系の生花
が当流にも伝わりました。私が思うのは…その花を先輩先生方が研究に研究を重ね、
当流独特の美しさとして磨ぎだしてきたこと。
そんな歴史と多くの先生の思いの中に成り立つ当流を前にするとき、
もっと正しく伝えねばと、私自身衿を正すのです。
將甫